奈落のぼれろ

終活はじめました

人の痛みが分かるから泣いてしまった

天気がいいし近所が賑やか。つまり煩い。何時からだろう。人の笑い声、子供たちの声、車・バイクの音、テレビのバラエティ番組、今まで別に気にもならなかった様々な生活音が、不快なノイズ音のように煩く感じるようになった。人の笑い声だったり子供たちの声は不快というより気分が酷く落ち込む。

久しぶりにテレビを付けてNHKを見ていたら、熊本地震が原因で孤立した人たちの事をやっていた。中でも、中年の男性の事がやけに心に残った。奥さんと子供がいたけど離婚して一人暮らし。そして被災。みなし仮設で誰とも接する事無く孤独に暮らしている。あらゆることに全く関心が持てなくなり、次第に酒に逃避する日々。1日に4リットル以上を飲む様になったそうだ。

もう長生きしたいと思わないと語る、その姿を見て涙が流れてきた。私も誰とも接する事が無くなり、孤独が辛くなり現実から逃げている。この人は子供がいる分、余計に孤独が堪えるかもね・・・。実際、我が子からの手紙などが心の拠り所だそうだ。

私も子供が好きだから、その痛みも分かるんだ。シングルマザーの友達がいて、その人とは友達以上の仲でもあった。短期間だけど一緒に暮らして、人様の子とは言え可愛くて、幸せな思い出が一杯あるんだ。懐いてくれて、父親になって欲しいと言ってくれて、とても可愛かったんだよ。そこから進展しなかったのは、きっと私が男として頼りなかったのだろうね。

離れてからも手紙を貰ったりした。それらは大切に取ってある。子供と暮らすことの幸せ、そういうものを知ってしまったから、子供からの手紙を心の拠り所にしている中年男性の姿を見て、その気持ちが痛いほどに分かってしまったんだ。これは家庭の温もりを知った人間じゃないと分からないよ。

結局、人って一人だと生きていけないんだよね。両親がいるから孤独ではないという人もいるだろうけど、それと伴侶の存在とは全く意味が違うよ。

今年の正月、疎遠になった友達(と言えないと思うけど)から年賀状が届いた。結局、返事を出さなかった。申し訳ないと思って、その人のブログに挨拶だけ書き込んだけど、ブログを見ると、とても楽しそうにしているみたいだし、住む世界が違う人みたいな気がして二度と見る気が無くなった。

昔の私を知る人間とは会いたくないしネットの関係すら持ちたくない。偽りの自分を演じてきた、そんな私しか知らない人たちとなんか会いたくない。本当の私は弱くて情けない人間なんだ。もう偽るのは疲れた。昔の私の事なんか全く知らない人と仲良くなりたい。その前に消えたい気持ちが凄い。何だかもう駄目な気がしてきた。全てが駄目な気がしてきた。生きてる意味が分からない。気が狂いそうだ。私の頭の中はオカシイ。