奈落のぼれろ

終活はじめました

灰色の水曜日

(1)
ブログを見て下さっている方なら、そろそろ私の性格にはイラっときているかもしれない。私自身もいい加減に自分の性格が嫌になってくる。兎に角、女々しいのだ。これは性同一性障害だとかLGBTだとか女性・男性だとかは関係ない。どんな性自認の人であろうと強く生きている人は沢山いる。性同一~は言い訳にならない。

でも、やっぱり言い訳をさせて欲しいな。男性と言う皮を被らされて生きているのは辛い。私は正確には「性転換症」と診断を受けている。今はこういう言い方をするのか分からない。性同一~と同じではあるけど、より自分の性や体に強い嫌悪を抱く場合に、当時はそう区別されていた。頑張って男性社会に潜り込んで生きてきたけど、どうしても無理があった。

好きな人に尽くしたり支えたり。そんな生き方を夢見ていたけど、それは男性がする事ではない。主夫という道もあったのかもしれない。でもそれを求める女性にお目にかかった事が無い。男性として生きる事にも限界を感じてしまって、余計に絶望感に包まれたのかもしれない。だから女々しくあれこれ書きたくなる。ネット上でも男性を貫くのは意外と疲れる。私はそういう人間なんです。

(2)
生きている事が辛い。苦しい。死んでしまいたい。これはどんな人でも一度は抱いた事がある感情(或いは一種の欲望のようなもの)だと思う。多くの場合は一時的なものだったり、発作的なものだったりするのかもしれない。何事も無かったように日常に戻って、時々またそんな気持ちになったり、そんな事を繰り返しながら人は生きているのかもしれない。

私が自殺を試みた時も、そんな一時の希死念慮から発作的に実行した感じだった。それ以前から、自殺を脳内でシミュレーションしたり、死に場所を探し彷徨いながらも踏みとどまったりしていた。何となく死んでみたい気持ちと、何となく生きていたい気持ちが往来していた。実行しても運良く(運悪くと言うべきだろうか)助かってしまったけれど、きっと今も、その気持ちは何処かにあるのだろうと思う。

昔から私は、ずっとそんな感じだった。普段は自殺を意識していないけど、そんな気持ちになる事もある。生きている事が辛い。終わりにしてしまいたい。でも実行する事なく表面上は普通を演じてきた。本音はブログで幾度か書いてきたように、いつ死んでも構わない。私はきっと死にたい症候群なんだよ。いつでも死ねばいい。そうやって気を楽にしたり、ふと死ぬのかもしれない。

昔から、死にたい気持ちになった時によく聴いていた曲。
ARB 灰色の水曜日
(作詞:白浜久・石橋稜 作曲:白浜久)

自殺をテーマにしたこの曲は、いつも生き辛いと感じていた私の心に深く響いたし、深く落ち込んだり傷ついた時には、いつも救ってくれた。歌詞は白浜久と石橋稜の共作とクレジットされているけど、確か、元々は白浜久が単独で作った筈。内容がストレートだった為、石橋稜が若干手を加えたのが真相だったと思う。白浜久のソロライブでは、手が加えられる前の詞で歌われている。その歌詞がこちら。

目覚ましのベルと ママの優しい声に 
安らかな眠りは 打ち砕かれてしまう
溜め息の月曜日

人混みの角で すれ違う友達は
視線も合わせずに 笑いながら去っていく
灰色の水曜日よ

さあ思い出して 夢に生きてた頃を
今よりずっと素敵な 夢に生きてた頃を

冷たい雨風が 激しく木々を揺らす
咲いたばかりの花も 次々に散っていく
退屈な木曜日

何万もの人が ひしめく狭い街で
かかとをすり減らし 挨拶も交わさずに
目をそらす金曜日よ

さあ思い出して 愛し合ってた頃を
真剣な眼差しで 見詰め合ってた頃を

新聞の片隅に 小さく載った名前
さよならも言わずに 君は旅立っていく
灰色の水曜日よ

さあ思い出して 輝いていた頃を
何もかも眩しくて 恋に落ちてた頃を

さあ思い出して 夢に生きてた頃を
今よりずっと素敵な 夢に生きてた頃を

さあ思い出して 愛し合ってた頃を
真剣な眼差しで 見詰め合ってた頃を

さあ思い出して 輝いていた頃を
夢に生きてた頃を 愛し合ってた頃を
(作詞・作曲:白浜久)