奈落のぼれろ

なんのテーマも無くダラダラ書いてます。ブログ主は日本語がやや不自由です;

豊かな国の心の貧困

(1)
何年か前、風邪を引いて近所の診療所に行ったら、元気そうな老人がたくさんいて、しんどい中、2時間ほど待たされたことがあった。こういう老人たちのせいで、本当に医療を受けたい人が後回しにされて、おまけに国民医療費が膨れ上がるんだよなー、って不満を抱いた気がする。

今になって、その老人たちの気持ちが少し理解出来るようになった。確かに財政を圧迫する要因ではあるけど、小難しい話は横に置いておいて、医者でも看護師でもいいから、みんな誰かと会話したいんだと思うんです。

その診療所は、正直言って診立てはあまり良くない。でも、先生は優しくて、患者の話を色々と聞いてくれる(だから1人にかかる時間が長い)。診察室の会話が筒抜けなので、待っている間も聞こえてくるのだけど、お爺さんもお婆さんも楽しそうに先生と談笑していた。

2週間ほど前、病院での定期検査のことを記事に書いたと思うけど、久しぶりに外に出て、看護師さんや検査技師さんたちと会話を交わして、そのたった数分の会話がとても楽しかったんです。人と接するのが苦手でも、人と接したくないのではなく、人と接していたいんです。きっと、あの老人たちも、そんな気持ちだったんだろうって思った。

もし、毎週のように通院する必要があったり、再発して入院していたら、これほどの孤独を抱えていなかったのかもしれません。嫌でも誰かと会話することになるからね。再発するのは嫌ですけど、痛いし(笑)。

(2)
これも数年前のことだけど、至近距離で人が死ぬところを見てしまった。夕方、目的もなく難波に行こうと最寄り駅で電車を待っていた。ホームのいちばん端(喫煙スペース辺り)で待っていて、すぐ近くには踏切があった。踏切が鳴って快速がやって来た時、踏切内に中年男性が進入して線路に飛び込んだ。確かにはねられるのを、思い切り近くで見てしまった。

けたたましく警笛が鳴り減速して、先頭車両がちょうど私の目の前辺りで止まった。走ってやってきた駅員に「人轢いた!人轢いた!」と運転士が窓から話していた。これから家路に着く学生たちがたくさんいて、騒然としていた。

数分後には救急車と警察が来て、現場検証が始まった。色んな角度で現場写真を撮影して、別の警察関係者が何か詳細にメモを取っていた。車両の中では、乗客が閉じ込められたままになっていた。電車に乗るつもりで駅にやって来た人たちがどんどん集まって、駅構内は大混雑していた。

家に帰ろうと駅を出て踏切前を通ると、シートらしきものを被せた何かと、敷石に所々、血がついているのが見えた。警察が「目撃された方がいましたら、情報の提供をお願いします」と野次馬たちに呼びかけていた。思い出したくなかったし、そのまま帰った。

その頃はスマホを持っていなかったので(ネット接続できないプリモバイルだった)、家に帰ってからPCで見ると「人身事故なう」と、現場写真付きツイートが大量に投稿されていた。他の駅で足止めを食らった人たちのツイートも大量に投稿されていて、自殺した人に対する罵詈雑言がすごかったのを覚えている。

働いていた時、JR環状線南海線で何度も人身事故に巻き込まれたので、鉄道人身事故での自殺者に怒りを覚える人の気持ちは分かるよ。疲れて帰る途中の、満員でぎゅうぎゅうの車内で、立ったまま2時間近く待たされたりしたから。でも、自殺する側の気持ちは痛いほど分かるんだよ。当時は年間自殺者が3万人を超えていて(今もどうせ数字を上手く誤魔化しているだけの気がする)、今だって政府はまともに対策をとらないままだ。別に、政治家や役人なんかに何も期待していないけど。

でも、うつ病になる人が増えて、相変わらず自殺者が多くて、経済ばかりが成長して弱者は取り残されて、まるで社会ダーウィン主義みたいな考えが蔓延しているみたいで、こんな社会が豊かだと言えるのだろうか。自殺するほど追い詰められた人が非難されるのを見るたび、この国の心の貧しさを感じてしまう。

「けさ、私は、この豊かな美しい国で孤独な人を見ました。この豊かな国の大きな心の貧困を見ました。」 マザー・テレサ